国宝白水阿弥陀堂
提供:いわき百科事典プロジェクト
拝観時間 4月1日より10月日まで・・・AM8:30~PM4:00 11月1日より3月末日まで・・AM8:30~PM3:30 ※受付は終了15分前です。 定休日 毎月第4水曜日 2月節分 3月春彼岸中日 8月お盆(12日~16日 24日) 9月秋彼岸中日 12月(25日~31日)、第二水曜日、木曜日 入場料 大人 400円 子供 200円 住所 福島県いわき市内郷白水町広畑219
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概要
国宝白水阿弥陀堂(こくほうしらみずあみだどう)は平安時代に平泉の中尊寺金色堂にならって造られた。平安時代後期に流行した代表的な御堂といわれる。
福島県でたった一つの国宝指定の文化財です。
正式には願成寺阿弥陀堂という。
白水阿弥陀堂(阿弥陀堂)が建てられた歴史
お坊さんの話によると、1052年に末法思想が全国にひろまり、仏教が衰え、世の中が暗黒になると信じられていた。
そこから救われようして浄土教(=阿弥陀教)が流行した。それは仏様に向かって「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて極楽浄土に往生することを願う宗教である。
これを他力本願という。この宗教に貴族はすがった。藤原道長は法成寺、頼道は宇治に平等院鳳凰堂を建てた。
藤原一族は武力闘争を背景として権力を握っていて、それまで多数の貴族や高い身分の僧を無実の罪のまま残忍な刑で死なせてきた。
なのでその怨霊が武力抗争や社会異変を起こすと恐れ信じ、御霊信仰と併せて浄土教を信じていた。
そのように貴族が競って寺を建てたり、仏様を造ったりして救いを求めた。
平安後期に地方の武士の勢力が強くなるにつれて貴族の文化が地方へ普及した。お金を多く持っていた武士は阿弥陀堂をたくさん建てた。
永暦元年(1160)岩城国守岩城大夫則道公(いわきのくにのかみいわきたいふのりみちこう)の夫人徳姫が、則道公の死後髪を剃り徳尼御前(とくにごぜん)と呼ばれ、夫の冥福を祈るため今の場所を選んで中尊寺金色堂にならって白水阿弥陀堂を建てた。
仏教は浄土教の反対で、自ら修行して救われるという考え。 末法思想・・・釈迦の死後2000年後にこの世が終わってしまうという考え。 御霊信仰・・・祈祷によって救われるという考え。 岩城国守岩城大夫則道公・・・いわきを治めていた。 徳姫・・・藤原清衡の娘 白水の地名は、徳姫の故郷平泉の字を分けて名づけられた。
白水阿弥陀堂の庭園について
庭園には特になにもなさそうですが、深い話があります。
本の内容によると、庭園の名前は浄土庭園といいます。それは釈迦が住んでいるところをイメージしてつくった庭のことです。 白水阿弥陀堂だけではなくほかの阿弥陀堂の庭園も浄土庭園と言います。池には石があります。その石は立っていたり寝ていたりして、規則正しい置き方があるそうです。 現在の浄土庭園は、30年前の発掘作業によって復元されました。 池に住んでいる鯉は池の藻などを食べて浄化するそうです。でも濁ってます。 天然記念物に指定されている大きな公孫樹があります。
白水阿弥陀堂のお坊さん
お寺を継げるのは能力のある人で血のつながりのあるひとではないそうです。
現在3人いて、そのうちの一人はなんと中央大学でロボットの勉強をしていたそうです。
寺院としての仕事をしていて、お葬式でお経を唱えたり、お堂の中で話をしたりしています。
800年以上続く白水阿弥陀堂
取材の中でお坊さんに最も熱く語っていただいたのは、白水阿弥陀堂の貴重さについてです。
阿弥陀堂は全国に5つしかありません。昔弾圧にあってほとんど壊されてしまいました。その残りが白水阿弥陀堂です。
普通は仏様に直進してお参りに行きます。それは平安時代の決まりです。それが今の時代でできるのは、阿弥陀堂の中で白水阿弥陀堂だけです。
中尊寺金色堂や平等院鳳凰堂は横からしか入れません。修復の過程でそうなってしまったのです。
また、浄土庭園にある大きな池は平等院鳳凰堂と白水阿弥陀堂だけです。
お坊さんはとても貴重であると言っています。実際そうだと思います。
国宝白水阿弥陀堂とその庭園
庭園を散歩して景色を楽しむこともできます。僕は実際に歩いてみて本当にきれいだと思いました。
朝早く起きて自分だけの写真を撮ってみるのもいいかもしれません。特に冬の写真はきれいだと思います。
編集後記
載せてある写真は自分で撮ったものです。参考にした本は、「花の御堂 国宝白水阿弥陀堂とその周辺」著者 草野日出雄
いわき中央図書館から借りてきました。お坊さんの話も参考にしました。
載せてある写真は、学校の先生からいただいたものがあります。
--08113Sho Kawana 2009年1月30日 (金) 14:53 (JST)


